<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?> 
<feed version="0.3" xmlns="http://purl.org/atom/ns#" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xml:lang="ja">
<title>blog and trainings</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://tobira.livedoor.biz/" />
<link rel="service.post" type="application/x.atom+xml" href="http://cms.blog.livedoor.com/atom/blog_id=274483" title="blog and trainings" />
<modified>2008-12-11T17:38:37Z</modified> 
<tagline><![CDATA[基本的には「風が吹けば桶屋が儲かる」的話。]]></tagline> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2008:tobira0513</id> 
<author>
<name>tobira0513</name> 
</author>
<generator url="http://blog.livedoor.com/" version="1.0">livedoor Blog</generator> 
<copyright>Copyright (c) 2008, tobira0513 </copyright>
<entry>
<title>超久しぶりに</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://tobira.livedoor.biz/archives/51542267.html" />
<modified>2008-12-11T08:38:30Z</modified> 
<issued>2008-12-11T17:38:30+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2008:tobira0513.51542267</id> 
<summary type="text/plain">ブログを復活させようと思います。
ただいま準備中。</summary> 
<dc:subject></dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://tobira.livedoor.biz/archives/51542267.html">
<![CDATA[ブログを復活させようと思います。<br>
ただいま準備中。]]> 
</content>
<author>
<name>tobira0513</name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>受話器はどちらの耳に当てるべきか</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://tobira.livedoor.biz/archives/50388049.html" />
<modified>2006-03-09T19:16:20Z</modified> 
<issued>2006-03-10T04:11:40+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2008:tobira0513.50388049</id> 
<summary type="text/plain">yahooニュース（3月9日(木)9時24分）
携帯電話をどちらの手で、どちらの耳で使う？～携帯電話の習慣を調査

多くのユーザーが、 携帯電話で生活が変わった と感じているように、携帯電話は生活に深く入り込んでいるアイテムだ。しかし、非常にプライベートなアイテムとい...</summary> 
<dc:subject></dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://tobira.livedoor.biz/archives/50388049.html">
<![CDATA[<blockquote>yahooニュース（3月9日(木)9時24分）<br>
<a href="http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060309-00000007-inet-sci">携帯電話をどちらの手で、どちらの耳で使う？～携帯電話の習慣を調査</a><br>
<br>
多くのユーザーが、 携帯電話で生活が変わった と感じているように、携帯電話は生活に深く入り込んでいるアイテムだ。しかし、非常にプライベートなアイテムということもあり、携帯電話の使い方が自分と他人で異なっているのかどうかは、なかなかわからないものだ。そんな携帯電話に関する習慣を、とても素朴な観点から調査した。<br>
（中略）<br>
「通話をする際に、どちらの耳に携帯電話をあてますか」という質問では、答えはほぼ真っ二つに分かれた。90％（270人）のユーザーがどちらの耳にあてるのか決まっており、全体の45％（135人）が「利き手側」、同じく45％（135人）が「利き手と反対側」の耳に携帯電話を当てるという結果となった。<br>
<br>
ビジネスマン・OL であれば、利き手と反対側の耳を使う理由はわかるはずだ。オフィスでは、通話しながらメモを取るのは当たり前。利き手にはペンを握り、反対側の手で受話器を持つという習慣がある。このようなオフィスの習慣が、携帯電話を使う際にも現れているようだ。<br>
</blockquote><br>
<br>
脳の言語中枢が脳の右よりに存在するだかの理由で、音声信号である言葉が、言語中枢に届くまでの時間に差が出るため、受話器を左の耳に当てると、右耳に当てるより言葉を理解するまでに脳内に微細なロスが出るそうです。<br>
なので、受話器は右耳に当てるほうが脳内の処理の効率が良いと。<br>
まあ、こういう話の常として、またその内に反証みたいなのが出るかもしれませんが。<br>
<br>
この記事は「受話器は右耳に当てても左耳に当てても同じ」という前提に暗黙のうちに因っていますが、このように、本当はそうじゃないかもしれない。<br>
<br>
「自分の思い込み」というのは、たとえ、その「思い込み」が「世間の常識」と一致するものであっても、その真偽はかくも脆いものです。<br>
<br>
自分の考えの全てを疑ってしまったら、一言も喋ることができずにノイローゼになってしまうけれども。<br>
<br>
しかし、やはり、こういうようなことに触れると、自分が広い世界に生きたいと思うのなら、どんな受け入れ難いことでもまずは拒否ではなく受容を、自分が嫌いと思うものにこそ興味を、自分が正しいと思うことに対する痛烈な反論こそを喜ぶ心を、常に持つよう心がけるべきだと感じます。<br>
<br>
ちなみに、個人的には受話器は左耳に当てたほうが、よく考えられる気がするので左に当てます。右耳で話してると、なんか脊髄反射的な返事をしてしまってる感じがして…ただのプラシーボ効果かもしれないけど。<br>
]]> 
</content>
<author>
<name>tobira0513</name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>もう終わったクリスマスによせて。矢沢あい「NANA」の話も。</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://tobira.livedoor.biz/archives/50272996.html" />
<modified>2005-12-26T12:28:18Z</modified> 
<issued>2005-12-26T03:07:06+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2008:tobira0513.50272996</id> 
<summary type="text/plain">「金子みすず」という詩人がいまして、昔読んだ、その人の「大漁」という詩が印象に残っていて今も覚えています。また例によって何処で読んだのか忘れたのだけど。

大漁

朝焼け小焼だ
大漁だ
大羽艦の
大漁だ。

浜は祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
...</summary> 
<dc:subject>雑</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://tobira.livedoor.biz/archives/50272996.html">
<![CDATA[「金子みすず」という詩人がいまして、昔読んだ、その人の「大漁」という詩が印象に残っていて今も覚えています。また例によって何処で読んだのか忘れたのだけど。<br>
<br>
<blockquote><b>大漁</b><br>
<br>
朝焼け小焼だ<br>
大漁だ<br>
大羽艦の<br>
大漁だ。<br>
<br>
浜は祭りの<br>
ようだけど<br>
海のなかでは<br>
何万の<br>
鰮のとむらい<br>
するだろう<br>
</blockquote><br>
<br>
一般的にはどういう風に評価されてるのかはわかりませんが、初めて読んだ時に、この詩の視点の置き所に「げっ」という感じになりました。<br>
この詩から、「心優しさ」のようなものを感じるのがもしかしたら正統なのかもしれないけれど、自分は、世の中の理不尽さを冷徹に眺める「醒めきった視線」を感じてしまったからです。<br>
<br>
たくさんの喜びの裏で同時に存在する、全く気にも留められない、この上ない悲しみ。<br>
人々の日々の生活が続いていくためには、それはどうしようないことであるのに、それをわざわざ暴露することに、多少の趣味の悪さすら感じるのだけど、なんでこんな詩を引用したかというと、自分も、これから同じような趣味の悪いことを書こうとしているからです。<br>
<br>
<br>
今日はクリスマスでしたが、日本では毎年クリスマスイブは「恋人達のイベント」となっている風潮があります。<br>
もちろんクリスマスと関係なく過ごす人も大勢いますが、やはり、世間全体で一ヶ月前ぐらいから徐々にクリスマス気分を盛り上げる雰囲気があり、24日にクライマックスを迎えています。そして、その流れに乗って世間の恋人達がお互いの気持ちを高めあう…というのは、別段悪いことでもないと思います。<br>
「日本人はクリスマスを勘違いしてる」だの「聖夜じゃなくて性夜だ」だのの批判はいつも聞こえますが、日本人の外来文化の曲解は現代に始まったことではありませんし、みんなが「楽しもう」という雰囲気をつくろうとする行為の一体どこが悪いのかと。<br>
<br>
<br>
しかし、ここで話を一気に趣味の悪い方向に持っていくと、<br>
ごく個人的な話でいえば、自分にとって「クリスマス」というのは、ここ10年近くのほとんどが、<br>
「自分が好きな人が、自分のことを全く好きではないことを、否応なしに確認させられる日」<br>
であり続けました。<br>
ほぼ毎年、世間の浮かれ具合と、自分の苦い気持ちの落差を味わってきた、ろくでもない日であり続けたわけです。だから、屈託なく「クリスマス大好き」と言える人を素直にうらやましく思います。<br>
<br>
しかし、僕が「クリスマスに浮かれるのなんか糞食らえ」という方向に行かないのは、社会において、被る必要なんかなかったかもしれない不利益を理不尽に被ることなんか、いくらでも普遍的に存在していると思っているからだと思います。<br>
競争で勝った喜びの裏には負けた苦痛が、突然の幸運の裏には理不尽な残酷さが、多くの場合存在しています。しかし、これはどうしようもないことです。<br>
<br>
問題なのは、今の社会はその理不尽さを受け入れるための方法論を持っていないことです。そして、その方法論を持っていないがために、苦しんでいる現代人は意外に多いのではないかと（実は自分もその一人だったりするから、ここでぶつくさ「俺は辛いんだよ」という文章を書いているのだと思いますが）。<br>
自己実現という考え方すらなかった昔であれば、「そういうもんなんだよ」「仕方ないんだよ」というような言葉で、個人の力を超えた部分の、種々の理不尽さを受け入れてきたのですが。<br>
<br>
<br>
大ヒットした「NANA」を今さら初めて読んで思ったのが、「『（恋愛に関することばっかりだけど）理不尽さを受け入れなくてはいけない苦しみ』を丁寧に描こうとしているな」ということです。ただの惚れた腫れただけのありがちな少女マンガかと、正直最初は思っていたのだけど。このマンガが大ヒットしたということは、やはり理不尽さを受け入れる方法論が今の社会に渇望されているんじゃないか、とか思ったり…深読みかな。<br>
<br>
<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/redirect?tag=blogandtraini-22%26link_code=xm2%26camp=2025%26creative=165953%26path=http://www.amazon.co.jp/gp/redirect.html%253fASIN=4088562097%2526tag=blogandtraini-22%2526lcode=xm2%2526cID=2025%2526ccmID=165953%2526location=/o/ASIN/4088562097%25253FSubscriptionId=15JBHWP7TH9QYT1RMHG2"><img border="0" src="http://ec1.images-amazon.com/images/P/4088562097.09._SCMZZZZZZZ_.jpg" align="left" style="margin-right:5px;" /></a><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/redirect?tag=blogandtraini-22%26link_code=xm2%26camp=2025%26creative=165953%26path=http://www.amazon.co.jp/gp/redirect.html%253fASIN=4088562097%2526tag=blogandtraini-22%2526lcode=xm2%2526cID=2025%2526ccmID=165953%2526location=/o/ASIN/4088562097%25253FSubscriptionId=15JBHWP7TH9QYT1RMHG2">NANA　(１)</a><br clear="all" />]]> 
</content>
<author>
<name>tobira0513</name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>「人間力」ってそもそもなんですか。</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://tobira.livedoor.biz/archives/50164839.html" />
<modified>2005-10-26T12:09:29Z</modified> 
<issued>2005-10-26T21:09:29+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2008:tobira0513.50164839</id> 
<summary type="text/plain">＜眞鍋かをり＞ニート、引きこもりにエール

　「若者の人間力を高めるための国民運動」のイベントが２６日、東京都千代田区の東京国際フォーラムであり、タレント・眞鍋かをりさんと五輪柔道三連覇の野村忠宏さんが若者にエールを送り、歌手の川嶋あいさんが応援ミニライ...</summary> 
<dc:subject></dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://tobira.livedoor.biz/archives/50164839.html">
<![CDATA[<blockquote>＜眞鍋かをり＞ニート、引きこもりにエール<br>
<br>
　「若者の人間力を高めるための国民運動」のイベントが２６日、東京都千代田区の東京国際フォーラムであり、タレント・眞鍋かをりさんと五輪柔道三連覇の野村忠宏さんが若者にエールを送り、歌手の川嶋あいさんが応援ミニライブを開いた。<br>
　ニートや引きこもりなど問題が増えている若者を支援しようと、経済界や労働界などでつくる「同国民会議」（議長、奥田碩・経団連会長）が主催。眞鍋さんは「若者サポーター」として、参加した約３００人の若者らに「社会に出て大人として働くためには、能力よりも先に人間力が必要。若者のみなさんは、自信を持って、人間力を高めて、生き生きとした生活を送って」と呼びかけた。また、野村さんは「目標を持って自分を奮い立たせてください」と訴えた。<br>
　その後、若者と識者らのトークセッションがあり、川嶋あいさんが熱唱し、「夢を一つは持って、火の中に飛び込む意気込みでがんばって」と激励した。<br>
（毎日新聞）</blockquote><br>
<br>
「若者の人間力を高めるための国民運動」公式サイト<br>
<a href="http://www.wakamononingenryoku.jp/">http://www.wakamononingenryoku.jp/</a><br>
<br>
<br>
で、「人間力」ってなに？公式サイト見ても結局定義付けされてないので、何を高めようとしてるんだかよくわからない。さらに、この論調だと「ニートになる人は人間力が低い」ってことですか？<br>
つまり、「人間力」って言葉の響きからすると、「ニートは人間として総合的にダメ」って言ってるような。バカにしてるんですかね。ニートをただの「究極の怠け者」扱いしている雰囲気ががうっすら感じられます。しかし、いうまでもないことですがニートの人達は「働けない自分」に（漠然とではあっても）悩んでいます。<br>
<br>
そもそも「非常に真面目な性格な人ほどニートになりやすい」というのはよく言われていることです。なぜなら、真面目な人ほど「社会において自己実現されてない自分」というものに深刻に悩んでしまうからです。<br>
<br>
しかし、社会生活の中で自己実現をすることはとても難しい。あちこちで利害がぶつかり合うし、みな自分の生活を守ろうと必死だからです。<br>
<br>
その一方で、上の運動の通り「目標を持て」とか「夢を持って」とかのメッセージに代表されるように、「自己実現」というのは、現在の教育・風潮の中では至上命題です。だからこそ、真面目な人ほど、「自己実現」を自分の人生の最終目標に置きます。<br>
<br>
しかし、繰り返しますが、社会の中で自己実現をすることは難しい（、そしてその厳しさを学校、社会は教えてくれません）。その強烈な、「理想」と「現実」の齟齬が今ニートを呼ばれる人たちを苦しめているのです。<br>
<br>
そんな人たちに「目標を持て」「夢を持て」というのは、さらに首を絞め上げるようなものです。この運動は、そこのところを何もわかっていない。<br>
<br>
夢や目標がなくても、毎日を力強く生きている社会人はたくさんいる。いわゆる「自分らしさ」をねじ曲げてでも、必死に働いて自分の家族を食わしている人だって、充分偉いはずです。<br>
<br>
<br>
つまり、「自己実現なんてしなくてもＯＫ」、こっちの価値観こそ今ニート（であり、自分がニートであることに悩んでいる人）達に必要なメッセージではないでしょうか。夢や目標なんかよりも先に、まず毎日を生きろ、と。「自己実現」というイデオロギーが手詰まりだからこそ、「ニート化」という現象が起きるわけです。<br>
<br>
まあ、結局は、「夢や目標を持て」と言っておきながら、夢や目標が実現されることを信じづらい社会しか、今の若者に用意していない今の日本（政府）に腹が立っているというだけですが。]]> 
</content>
<author>
<name>tobira0513</name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>FOMA SO902i</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://tobira.livedoor.biz/archives/50150478.html" />
<modified>2005-10-19T07:08:56Z</modified> 
<issued>2005-10-19T16:08:56+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2008:tobira0513.50150478</id> 
<summary type="text/plain">きたああああああああああああああ！買うぞー。

http://www.nttdocomo.co.jp/product/foma/902i/so902i/index.html</summary> 
<dc:subject>モノ</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://tobira.livedoor.biz/archives/50150478.html">
<![CDATA[きたああああああああああああああ！買うぞー。<br>
<br>
<a href="http://www.nttdocomo.co.jp/product/foma/902i/so902i/index.html">http://www.nttdocomo.co.jp/product/foma/902i/so902i/index.html</a>]]> 
</content>
<author>
<name>tobira0513</name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>現代の若者は、なぜ頻繁に周囲に対して感謝の気持ちを表明するか。</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://tobira.livedoor.biz/archives/50093949.html" />
<modified>2005-09-21T10:00:53Z</modified> 
<issued>2005-09-21T19:00:53+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2008:tobira0513.50093949</id> 
<summary type="text/plain">最近の日本の音楽の歌詞とか、mixiとかで色々な人が書いてる日記を読んでて思うのが、
「特になにかあったわけでもないのに、なんでいつものように『友達って最高』『友達に感謝』『今の自分を支えてくれる周囲の状況に感謝』『自分ってたぶん幸せ』っていう意思を表明して...</summary> 
<dc:subject>雑</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://tobira.livedoor.biz/archives/50093949.html">
<![CDATA[最近の日本の音楽の歌詞とか、mixiとかで色々な人が書いてる日記を読んでて思うのが、<br>
「特になにかあったわけでもないのに、なんでいつものように『友達って最高』『友達に感謝』『今の自分を支えてくれる周囲の状況に感謝』『自分ってたぶん幸せ』っていう意思を表明しているのか」<br>
ということ。別に、そういうことを書くことを否定しているわけではないですよ。<br>
<br>
まあこういう歌詞とか文章とか見ても、「みんな素直なんだなー。俺ならこういうこと言うの照れちゃうのになー」とか漠然と思っていただけなんだけども、ある映画を見てふと思い当たりました。<br>
<br>
前回のエントリーにもつながることだけども、こういうのって、要するにやっぱり「現代には期待できる未来がない」からではないかと。<br>
<br>
まだ公開する前の、日本の昭和三十年代を舞台にした映画を見る映画に恵まれたのだけど、そこに描写されている人々は、例外なく未来に大きな期待を抱いていました。<br>
<br>
子供達は皆、ロボットが街を行きかい、流線型の超高速列車が走る、科学が強烈に発達した「未来」を描いた小説に心をうばわれていたし、小さい自動車修理工場を営む親父は、日本の自動車産業が大きく発達していく将来に期待していました。<br>
こういう姿は、なにも映画の中に限らず、昭和三十年代の実際の日本の姿に近いのだと思ます。<br>
<br>
しかし、現代の日本では、将来に対するこういう明るい観測は皆無です。予想されている日本の将来は、700兆の借金が破綻するか、今の人口が半分くらいになった上に若者がいない老人だらけの社会ができるか、防御不可能なテロリストが突発的に襲ってくるか、カタストロフィックな大地震が襲ってくるか。<br>
<br>
明るい未来を信じられるか、暗い未来しか想像できないか、というのが個人のメンタリティに及ぼす影響は、意識はしていなくても意外に大きいはずです。「<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/redirect?tag=blogandtraini-22%26link_code=xm2%26camp=2025%26creative=165953%26path=http://www.amazon.co.jp/gp/redirect.html%253fASIN=4398680535%2526tag=blogandtraini-22%2526lcode=xm2%2526cID=2025%2526ccmID=165953%2526location=/o/ASIN/4398680535%25253FSubscriptionId=15JBHWP7TH9QYT1RMHG2">震災時帰宅支援マップ</a>」がベストセラーになってしまう社会は、やはりどこかまともではない。<br>
<br>
そういう社会状況のなかで、若い人達が生み出した行為が、「（今自分を囲んでくれている）友達って最高」「友達に感謝」「今の自分を支えてくれる周囲の状況に感謝」「（今の）自分ってたぶん幸せ」っていう意思を、事あるごとに表明し、周囲に対して確認することではないのだろうか、と。<br>
<br>
つまり、「（未来には期待できないけれど）とりあえず自分の今は素晴らしい」という「現状肯定」の意識です。<br>
<br>
そして、その「現状肯定」を、ブログ等の手段を通じて周囲に対して確認する姿は、現代人の「かつてないほど恵まれたコミニュケーション手段を持っているが（持っている故に）、内面に癒し難い孤独を抱え、将来に対する漠然とした不安はあるが、とりあえず現状に大きな不満はない」という特質そのもの。<br>
<br>
将来のことは全くわからないけれど、「今」につながっている「明日」ならリアルに想像できる。だから、若い人達は「今」に感謝し、近い「明日」を力強く生きようとしているのではないかと。<br>
<br>
難儀な時代ですね。]]> 
</content>
<author>
<name>tobira0513</name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>地震が補強する未来</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://tobira.livedoor.biz/archives/50012996.html" />
<modified>2005-08-16T16:21:21Z</modified> 
<issued>2005-08-16T18:00:38+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2008:tobira0513.50012996</id> 
<summary type="text/plain">特に書くことないからって、放っておいたらトップページから記事が全部消えてしまった。なんか書きます。


今日も宮城県を中心に強い地震があったのだけど、この地震の存在、特に最近の「強い地震に対する恐れ」というのは、現代人の近視眼的な考え方を、補強・加速させ...</summary> 
<dc:subject>雑</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://tobira.livedoor.biz/archives/50012996.html">
<![CDATA[特に書くことないからって、放っておいたらトップページから記事が全部消えてしまった。なんか書きます。<br>
<br>
<br>
今日も宮城県を中心に強い地震があったのだけど、この地震の存在、特に最近の「強い地震に対する恐れ」というのは、現代人の近視眼的な考え方を、補強・加速させているでしょう。<br>
<br>
つまり、９０年代後半から繰り返し言われている言葉「現代は、社会全体が明確に目指すべき場所（イデオロギーとか）を失ってしまったので、その日その日を享楽的に生きるしかない。」というやつです。予測不可能でカタストロフを招く、大地震が来るかもってのは、日々を一生懸命生きる人でさえもげんなりさせます。<br>
<br>
こういう「将来に対する救いのなさ」が、もう古いけど援交少女とか、オタクとか、最近だとニートとかに共通している、「努力して手に入る、輝かしい将来なんか何も保証されてないでしょ」というの価値観で、実際にその考え方に有効な反論ができるかというと、何にもできない。「リストラされた親父」「９１１テロ」とかを参照するまでもなく、その価値観こそが、今の時代の気分だからだ。<br>
<br>
この価値観を端的に表していた、日本社会の「ノストラダムスの大予言」という強烈な終末論を1999年に失ってからは、「大地震が来る」というのがその代わりを果たしているかのように思える。<br>
そもそも、「大予言」が日本に現れたのは、オイルショックを食らって高度経済成長時代（「経済成長」が一種のイデオロギーとして機能していた）が終わりかけていた1975年なわけで、今に続く日本の未来に対する陰鬱な気分を、「大予言」が極端な方法で表していたのではないかと思う。<br>
<br>
しかし、それが結局嘘だとわかった後で（当たり前だ）、それに代わって「大地震が来る」というのが現れたのではないかと。テレビ番組だって、「大予言」を特集する番組と、「大地震」を特集する番組は構成がほぼ一緒なのだ。太い声で過剰に危険を煽るナレーション、大げさな効果音、一見ドキュメンタリー風なつくり。科学的な精度で言ったら「大予言」と「大地震」は比較にならないはずなのに。<br>
<br>
80年代から、ますます混迷を深める日本社会の状況を反比例して、「大地震」は「大予言」よりも、ずっと現実味がある（ように見える）けれども、そんな風に考えると、今は「大地震がきそうだ」という「科学的なデータ」ばかりが報道されているだけで、実は「大地震はこない」というデータも、調べると以外に一杯出てくるかもしれない。<br>
メディアの大原則は、「大衆が求めるものを報道する」なのだし。<br>
<br>
]]> 
</content>
<author>
<name>tobira0513</name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>最近の自分の周りの状況を見直して。</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://tobira.livedoor.biz/archives/28664523.html" />
<modified>2005-08-14T08:52:46Z</modified> 
<issued>2005-07-22T14:05:48+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2008:tobira0513.28664523</id> 
<summary type="text/plain">・「王者のように計画し、奴隷のように実行する」 
最近改めて見直した言葉で、自分の行動規範の一つは言葉にするとやっぱりこれ。 
少し毒舌を吐くと、「王者のように計画し」の部分だけやることが、「人の上に立つこと」だと勘違いしている輩を散見する。 
そういう人間...</summary> 
<dc:subject>雑</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://tobira.livedoor.biz/archives/28664523.html">
<![CDATA[・「王者のように計画し、奴隷のように実行する」 <br>
最近改めて見直した言葉で、自分の行動規範の一つは言葉にするとやっぱりこれ。 <br>
少し毒舌を吐くと、「王者のように計画し」の部分だけやることが、「人の上に立つこと」だと勘違いしている輩を散見する。 <br>
そういう人間はまさに「裸の王様」であって、 <br>
自分があまりに滑稽な姿・振る舞いをしていてるために、上辺のお世辞とは裏腹に実は周囲から「王者」として全く認められておらず、実行はおろか「計画」すら実はろくにできていないことに気づいていない。 <br>
<br>
・「政治力も実力」 <br>
若い人間ほど、モノを生み出せる「実力」だけで理想を駆け上がっていくことを夢想し、泥臭く、一見、無産で張り子の力に見える「政治力」を軽視・嫌悪しがち。 <br>
というか自分も一年ぐらい前まではそんな感じだった。 <br>
しかし、どんなモノ・理想でも、多くの「人とのつながり」を経ずに実現されることは絶対にありえない。 <br>
また、実現しようとするものが大きければ大きいほど、それだけ多くの人の手を経る必要がある。 <br>
だからこそ、人間関係に直接行使する力である「政治力」は、「実力」と同じくらい重要である。 <br>
「政治力の侮蔑」をドライブに例えると、目的地に早く着くために「車の性能」ばかりを気にして、実際の「道路」の状況を軽視しているようなものだ。 <br>
ランボルギーニで細くてわかりづらい道を走るより、軽自動車で空いた三車線の高速道路を走ったほうが、目的地への到着は明らかに早い。 <br>
<br>
真に侮蔑するべきなのは、いつでも空いている高速道路を走れる「政治力」を持っているからといって、ぼろぼろでろくにスピードの出なくなった軽自動車に乗っていることに何の問題意識も持たないことで、「道路の走りやすさ＝自分の実力」と勘違いしてしまうことである。 <br>
そりゃ前は空いているように見えるだろうが、後ろはとっくに渋滞しているし、何より自分の車がショボいことに気づくべきなのだ。 <br>
<br>
いつでも必要なのは、自分の車体をメンテナンス・カスタマイズ・そして必要とあれば車体自身を買い換える力を持つように心がけることで、それに加えて、道路状況を正しく読んで選択する力を持つこと、色々な道路について詳しくなることが、物事を実行する際に必須な両輪である。  <br>
]]> 
</content>
<author>
<name>tobira0513</name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>新iPodがポッドキャスティングをサポートしている。</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://tobira.livedoor.biz/archives/26747977.html" />
<modified>2005-08-14T08:52:46Z</modified> 
<issued>2005-06-30T06:43:34+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2008:tobira0513.26747977</id> 
<summary type="text/plain">正確には「iTunesがポッドキャスティングをサポートしている。」だろうけど。

日本では「ポッドキャスティング」なんて、ホリエモンがニッポン放送を買収しようとしてた時にちょっと触れてたぐらいで、ほとんど盛り上がってないように思える。今後も、日本でポッドキャス...</summary> 
<dc:subject>IT</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://tobira.livedoor.biz/archives/26747977.html">
<![CDATA[正確には「iTunesがポッドキャスティングをサポートしている。」だろうけど。<br>
<br>
日本では「ポッドキャスティング」なんて、ホリエモンがニッポン放送を買収しようとしてた時にちょっと触れてたぐらいで、ほとんど盛り上がってないように思える。今後も、日本でポッドキャスティングがブログ並に流行るような気はしません。根拠はないけど。<br>
<br>
ただ、アメリカではボイスメールが盛んなのに、日本では全く盛り上がっていないとか、ヤフーでもMSNでもメッセンジャーには「ボイス機能」が標準でついているのに、僕の周囲では、そんな機能は完全に無視してキーボードをカシャカシャ叩いている人しかいないっていう状況はあります。<br>
<br>
まあ、僕自身メッセンジャーは用事がある時しか使わないから知らないだけで、もしかしたらメッセなりSkypeなりで、PCの前で日夜喋りまくってる人がいるのかもしれないけども。<br>
<br>
ただ、日本は古来より「文字の文化」だそうで、確かに源氏物語なんかでも、男女が歌を送りあって、直接会いもせずに恋心を募らせたりしてきたわけです。あと、欧米の携帯電話は、日本と違ってメール機能があんまり充実してないらしいとか、お国柄の違いはやっぱりありますね。<br>
<br>
iPodはアメリカで開発されてるから、こういう風に、特に日本では期待されてないように思える新機能が乗ったりするんだろうけども、しかし、これとは別に最近考えてたことがあって、これがひょっとしたらポッドキャスティングの流れに乗るんじゃないかと思うんですよ。<br>
<br>
最近、テレビ番組のネット配信については、やいのやいの盛り上がってて、USENが「<a href="http://www.gyao.jp/">Gyao</a>」始めてたりだとか面白そうだけど、一方のラジオ番組の方はどうなってるんでしょうかね？<br>
<br>
「ネットラジオなら腐るほどあるよ」という話ではなくて、例えば日本の「オールナイトニッポン」とか、ラジオ番組って一回流したらそれで終わりですよね？テレビ番組をビデオ・DVD化するように、ラジオ番組をパッケージ化して販売しようにも、一回放送で二時間もあったりするからCDに入りきらなかったんだろうし。<br>
<br>
でも、もうMP3の時代ですよ。ブロードバンドの時代ですよ。<a href="http://e-words.jp/w/DRM.html">DRM</a>だって整備されてきた時代ですよ。<br>
<br>
今までは「放送したらそれで終わり」だった既存のラジオ番組を、商品として流通させられる環境が整ってきたんじゃないですか？色々面倒くさそうな音楽部分は、カットしたって充分価値は損なわれないだろうし、テレビよりも権利関係複雑じゃなさそうですけど？<br>
<br>
「ビートたけしのオールナイトニッポン」が、安い値段でダウンロードできるなら俺なら買いますよー。<br>
<br>
まあ、何の下調べもしないで書いてるから、もうどっかで始まってるのかもしれないけど、「知財ビジネス」ブームのなか、ラジオだけ何にも話が聞こえてこないな～、と思います。<br>
<br>
そこまでポッドキャスティングの技術を理解してないので、もしかしたら大勘違いをやらかしてる可能性も大きいけど、日本でポッドキャスティングを普及させようと思ったら「キー局ラジオ番組の販売」しかないのではないかと。]]> 
</content>
<author>
<name>tobira0513</name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>どうでもよい雑談</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://tobira.livedoor.biz/archives/25795620.html" />
<modified>2005-08-14T08:52:45Z</modified> 
<issued>2005-06-20T09:24:48+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2008:tobira0513.25795620</id> 
<summary type="text/plain">先日「トリビアの泉」で、「女性の顔に鼻くそがついていた時、恋人の男性はどう対応するのか？」を実験しているの見ていた時のこと。

「女性たちが選んだ最も優秀な対応の仕方」は早くも忘れてしまったけど（なんか、スマートに相手に優しく気を使った対応だった気がする...</summary> 
<dc:subject>雑</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://tobira.livedoor.biz/archives/25795620.html">
<![CDATA[先日「トリビアの泉」で、「女性の顔に鼻くそがついていた時、恋人の男性はどう対応するのか？」を実験しているの見ていた時のこと。<br>
<br>
「女性たちが選んだ最も優秀な対応の仕方」は早くも忘れてしまったけど（なんか、スマートに相手に優しく気を使った対応だった気がする）、そんなことが話のメインではなく、実験の舞台になっていたレストランを見ていて。<br>
<br>
店内は、白熱球かなんかで薄暗くオレンジ色に演出され、巨大なワインセラーみたいなものが壁に埋め込んであったりするような、大変に大人な感じのフランス料理？かなんかのレストランで、皆ナイフとフォークで食事をしていました。<br>
<br>
そのレストランに食事に来た人たちが、「トリビア」の実験台になってたんだけども、驚いたのが、そこで食事をしてる人達に「20歳」とか「23歳」とか、自分と歳があまり変わらない人達が少なからず混ざっていたことです。<br>
<br>
テレビをぼんやり見ながら、「もっと歳を喰ったら、こういうレストランに行ったりすることもあるのかなあ」とさらに薄ぼんやり考えていたら、自分はどうやらとっくにそういう年齢になっていたようです。<br>
<br>
要するに、僕には「大人な感じのレストランで、恋人と二人でナイフとフォークを使って食事を（して、相手を傷つけないような優しい気の使い方を）する。」という経験がないわけなんですが、世の男性たちは、けっこう普通にそういうことをしてることにと気づいたわけです。いつの間にか、自分はすっかり取り残されていました。<br>
<br>
普段は、男は男だけでいる時はバカな話をして盛り上がっているけども、それ以外の時は、僕の場合は自分の部屋でぼんやりしているか、せいぜい音楽とか漫画で暇をつぶしていただけだ。でも、他の奴らは、ひとたび恋人といる時は、こんな風に良い感じのレストランで美味しいご飯を食べたりして「キメる」時もあったのだな。みんな僕と同じだと思っていたのに。<br>
<br>
そんな微妙な仲間はずれ気分を味わってしまいました。<br>
<br>
<br>
また、その一方で、だからといって、僕がそういう「ちょっといい感じのレストランに行って、美味しい料理を食べる」ことがしたいかと考えると、やっぱりそんなことには全く興味がない。<br>
<br>
そして、今度は女の人側に話を移せば、「女性にもほんとに色々なタイプがいる」ということを充分理解した上で、女の人は総じて「ロマンチックなこと」と「食べること」が好きです。「良い感じのレストランで食事」は、その二つどちらにも当てはまる行為です。あまりそれを嫌う女の人はいないでしょう。<br>
<br>
しかし、僕はそういったことに興味がない。こういった種類のずれ・摩擦が、今まで僕が気づかないうちに色々な場所、場面で何度も起きていた、あるいはこれから起きていくことを考えると…<br>
<br>
もう「女にモテたい」と思い詰めるような歳でもなくなったから別にいいのだけど、僕はこれからも「女性にモテる」ことはないんだろうなあ、と深刻に気づいたわけです。<br>
<br>
みんなきちんと大人になってたんですね。]]> 
</content>
<author>
<name>tobira0513</name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>携帯で香水を買わない俺は最先端ではない。</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://tobira.livedoor.biz/archives/25583169.html" />
<modified>2005-08-14T08:52:44Z</modified> 
<issued>2005-06-18T04:48:49+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2008:tobira0513.25583169</id> 
<summary type="text/plain">いまや、10代後半から20代前半の女の子あたりが、携帯を最大限に利用する層らしくて、 

携帯で買い物をしたり、買い物している最中も、その商品の評判などを携帯で読みながらショッピングを楽しんでいるとのこと。また店側も、そんな女の子達のために、わざわざ携帯サイト...</summary> 
<dc:subject>IT</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://tobira.livedoor.biz/archives/25583169.html">
<![CDATA[いまや、10代後半から20代前半の女の子あたりが、携帯を最大限に利用する層らしくて、 <br>
<br>
携帯で買い物をしたり、買い物している最中も、その商品の評判などを携帯で読みながらショッピングを楽しんでいるとのこと。また店側も、そんな女の子達のために、わざわざ携帯サイトのURLを商品のそばに貼っておいたりしているらしい（QRコードを貼っているのか？） <br>
<br>
で、そういうモバイルコンテンツを扱うベンチャー企業の業績はうなぎのぼりらしく、どこかの社長が、いかにこの市場に可能性があるかを熱弁していました。 <br>
<br>
やべ、俺携帯なんて電話とメールしかしねーよ、カメラすらロクに使わないし。もう俺もおっさんだ、とか微妙に焦ったんだけども、よく考えると10代後半から20代前半の女の子ってのは、パソコンに一番馴染みの薄い層ではなかろうか。 <br>
<br>
僕とかがアマゾンで本を買うように、女の子達は携帯で香水を買うのですね。それぞれが馴染みの深い端末で。やってることはあまり変わらないということに気づきました。むしろ女の子のほうが、「パケット量に応じた課金」とかにうとい分、どっちが最先端というわけでもないのかも。 <br>
<br>
しかし、僕とかは携帯サイトのあの「子供だまし」っぽいつくりにどうしても不信感を感じるのだけど、女の子達はそれを感じない、という点で違うのでしょう。そこは感覚の違いがあるかもしれません。 <br>
<br>
そんなわけで「俺ももう古い人間なのかなー」と思わないでもない。けども、今後どうせ携帯は「モバイルコンピュータ」として進化してくしかないので、どうせすぐに、どの携帯にもフルブラウザが標準搭載になり、ソフトバンクが携帯事業に参入したあたりで、安い金額でパケット定額が当たり前になり、「モバイル」とその他の区別をつけることが、無意味な時代がすぐきちゃうんではないのか。 <br>
<br>
<br>
今はモバイルとネットでプラットフォームが違うからこそ、「モバイル市場」ってのが存在できるわけで、携帯の進化により、モバイル特有のプラットフォームが取り払われれて、今までのインターネット上の商売と同じ土俵に上がることになれば、やっぱり今までのノウハウを持ってる、ネットビジネスの老舗（？）な人達が強いのではないか、と思うのだけど。 <br>
<br>
今、モバイルビジネスで怪気炎を上げてるベンチャーな人達はそこら辺どう考えてるんですかね。 <br>
<br>
つい最近まで、日本で唯一好調な産業だった「着メロ」サービスももう頭打ちなのだし。]]> 
</content>
<author>
<name>tobira0513</name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>気づかないってのは罪か</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://tobira.livedoor.biz/archives/24421953.html" />
<modified>2005-08-14T08:52:43Z</modified> 
<issued>2005-06-07T01:29:53+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2008:tobira0513.24421953</id> 
<summary type="text/plain">先日電車に乗っていた時のこと。
腰まで届きそうな長い髪を束ねた女の人が、ドアと座席の間のスペースに、座席に背を向けて立っていました。僕はちょうど、その女の人が立っているすぐ近くの吊り革につかまっていました。

ぼーっと立っていると、目の前で座っているサラ...</summary> 
<dc:subject>雑</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://tobira.livedoor.biz/archives/24421953.html">
<![CDATA[先日電車に乗っていた時のこと。<br>
腰まで届きそうな長い髪を束ねた女の人が、ドアと座席の間のスペースに、座席に背を向けて立っていました。僕はちょうど、その女の人が立っているすぐ近くの吊り革につかまっていました。<br>
<br>
ぼーっと立っていると、目の前で座っているサラリーマンが、何だか居心地悪そうに顔をしかめながら、もぞもぞしているのに気がつきました。<br>
<br>
「どうしたのかしら」と思ってよく見ると、女の人の束ねた長い髪の先が、ちょうど座っているサラリーマンの顔の位置でゆれている。それで、サラリーマンは何とも居心地が悪そうなのでした。<br>
<br>
しばらくしてサラリーマンは、その女の人の背中をポンと軽く叩きました。しかし、女の人は不思議そうに一瞬チラッと後ろを見ただけで、自分の髪の毛が何をしてるのかに気づきませんでした。サラリーマンもそれ以上アクションを起こす気はないようで、結局下を向いて目を閉じることにしたようです。<br>
<br>
ここには、不快になった人間、つまり不利益を被った人間は確かに存在している。しかし、だからといって女の人は悪かったのだろうか？<br>
<br>
確かに、自分の長い髪の毛が、人の邪魔になる可能性についての想像力は足りなかったかもしれない。しかし、髪の毛が伸びるペースはとにかく遅い。彼女にも当然、人の邪魔にならない髪の長さだった時期はあるでしょう。そして、髪の毛は、徐々に、徐々にゆっくりとしたペースで伸びていきます。その「髪が伸びていく」こと自体に自分でも気づけないぐらいなのに、髪の毛が徐々に、徐々に「人の邪魔になっていく」ことにまで気づけるのだろうか？<br>
<br>
<br>
最近ますます話題の「危機管理」ということについて考えると、いつもその限界が気になります。「事故」っていうのは、いつでも「思いもよらない」原因で起こります。しかし、危機管理っていうのは、結局「思いつく」範囲内でしか対策ができません。「想定の範囲内で」っていう奴です。つまり、事故はいつでも危機管理の外にある。「危機管理をしっかり行って事故を防ぐ」っていうのは、そもそも矛盾をはらんでいる目標なわけです。<br>
銭形警部が、美術館の宝石を守るために何重ものトラップを仕掛けて安心していても、ルパンⅢ世は必ず、銭形警部が（視聴者も）「思いもよらなかった」方法で宝石を盗んでいくようなもんですね。<br>
<br>
結局、危機管理っていうのは、「想定の範囲内」の「範囲」を広げていくしかないのだけど、だから、その費用対効果を考えると気が遠くなります。<br>
<br>
「たまたま立った場所で、自分の髪の毛が人の邪魔になる」ような、重箱の隅にまで人の想像力は及ぶだろうか？起きてしまった「事故」の原因って、どこまで「人」に帰することができるんだろうか？「気づかなかった」「想像力が及ばなかった」ってのは、どこからどこまでが罪なのか？<br>
<br>
電車に乗りながら、そんなことを考えました。]]> 
</content>
<author>
<name>tobira0513</name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>学校の勉強はつまらないか</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://tobira.livedoor.biz/archives/21989608.html" />
<modified>2005-08-14T08:52:42Z</modified> 
<issued>2005-05-14T23:23:29+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2008:tobira0513.21989608</id> 
<summary type="text/plain">ちょっと以前のテレビ番組で、学校の教師20人ぐらい（教育委員会の人も混ざってた）がパネリストとして集まって、それに芸能人も10人ぐらい交えて、国内の様々な問題について討論を交わすという番組がありました。

どんな話していたかとかは、ほとんど忘れてしまったけど...</summary> 
<dc:subject>雑</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://tobira.livedoor.biz/archives/21989608.html">
<![CDATA[ちょっと以前のテレビ番組で、学校の教師20人ぐらい（教育委員会の人も混ざってた）がパネリストとして集まって、それに芸能人も10人ぐらい交えて、国内の様々な問題について討論を交わすという番組がありました。<br>
<br>
どんな話していたかとかは、ほとんど忘れてしまったけど、何かのトピック（「ゆとり教育の是非」だったかな）について、教師や芸能人が色々と意見を交わしていた時、見ていて一つ珍しく腹が立ったことがありました。<br>
<br>
それは、「勉強は面白いか」っていう問いに対して、教師全員が「勉強はつまらない、役に立たない」と答えていたこと。番組の出演者ではただ一人、ラサール石井がそれに激昂して「勉強は面白いよ！知らないことを知ることは、楽しいに決まっているじゃないか！！」と激しく主張していました。そしてそれに対し、教師側が「そりゃあなたは優等生だからね…」と鼻で笑う、という構図。<br>
<br>
「勉強はつまらない」と信じている教師に、学校で勉強を習わなくてはいけない子供は不幸だと思います。<br>
<br>
他の国ではよく知りませんが、日本では「勉強って面白い」という人は、基本的に「変わった人」扱いされますね。「なんか勉強って面白いなあ」と思った子供が、学校で素直にそれを口に出せる雰囲気があるか、っていうとない場合が多いような気がします。「勉強ってつまらない」って思っている親も教師も多いのだから、子供達にそれが影響するのは当たり前。折角「勉強って面白いかも」って思った子供が、「あれ、そう思うのって変なのかな」って思い直してしまったら…才能の損失が起きてしまいます。<br>
<br>
日本の子供の学力低下（が本当に起こっているとして）の原因は、指導要領なんかではなくて、教師にまで蔓延した、日本全体に漂う「勉強はつまらない、役に立たない」という雰囲気じゃないだろうか、と最近思います。教師ですら「つまらない、役に立たない」と思ってるものを教えられたって、雰囲気に敏感な子供が学ぶものか、と思います。<br>
<br>
子供も多く見ているだろうゴールデンタイムの番組で、ただ一人「勉強は面白い」「勉強は役に立つ。自分が勉強してないから、生きていくのに勉強がすごく役に立っていることが、わからないんだよ。だってバカだから。」と主張していたラサール石井は、（ちょっと「バカ」は過激な言い方にしても）偉かったと思います。それこそ、教師が（たとえ信じていなくても）主張すべき意見ではないんだろうか。ていうか、「つまらない」ことを教えることを職業にしていて、自分に誇りをもてるんですかね。<br>
<br>
教育改革を叫ぶなら、「指導要領」よりも「教師の意識」を改革することが先決だと思いますよ。]]> 
</content>
<author>
<name>tobira0513</name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>「幼女性愛」は「同性愛」と同じ、先天的資質か。</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://tobira.livedoor.biz/archives/21787322.html" />
<modified>2005-08-14T08:52:42Z</modified> 
<issued>2005-05-12T23:43:19+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2008:tobira0513.21787322</id> 
<summary type="text/plain">つい最近のニュースを見て、この記事を思い出す。ちょっと年齢と嗜好がずれてるかもしれませんが。

同性愛が「性同一性障害」として世間に広く認知されるようになってから、まだ日は浅いと思います。それでも、昔に比べて随分と同性愛者の社会的地位は上がったように思い...</summary> 
<dc:subject></dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://tobira.livedoor.biz/archives/21787322.html">
<![CDATA[つい最近のニュースを見て、<a href="http://kiri.jblog.org/archives/001348.html">この記事</a>を思い出す。ちょっと年齢と嗜好がずれてるかもしれませんが。<br>
<br>
同性愛が「性同一性障害」として世間に広く認知されるようになってから、まだ日は浅いと思います。それでも、昔に比べて随分と同性愛者の社会的地位は上がったように思います。美輪明宏氏の若い頃の苦労話とか聞くと、昔の同性愛者って人間扱いされてないですからね。<br>
<br>
上の記事の最初の方で、調査の結果「幼女性愛っていうのは、本人の（先天的な）性的資質ということで間違いないと思う」ってことを言ってます。しかし、つい今見てたテレビのニュースでも「幼女への猥褻行為に対する厳罰化を」というニュアンスで報道がなされていまして、そういうありがちな単純な結論にすぐに持っていかず、もう一歩考えてみるべきではないかと。<br>
<br>
まあ、幼女に対する猥褻行為は厳罰で対処して当然だと自分も思います。しかし、「まったく理解できないことをする奴がいて、実際に人に危害を加えている。じゃあ厳しい刑罰で対処したらなくなるだろう」というのでは短絡的に過ぎないですかね。いわゆる「マジョリティの暴力」のような気がします。<br>
<br>
要は、幼女性愛を「理解できない」大人達が、「理解できない」っていうことを（無意識のうちに）認めずに、「理解できないから、そういう趣味はなかったことにしちゃおう」っていう風に考えているように思えるのですよ。だから単純な「厳罰化」とか「なんかこういう趣味を煽る、けしからんゲームや本がありますよ（。だから規制しません？）。」みたいな報道になるんではないかな、と。<br>
<br>
そりゃ厳罰化なり規制したりすれば、表面上はなくなったように見えるでしょうが、「幼女性愛」は先天的資質であるので決してなくならない。むしろ、ゲームや本などの「ガス抜き」手段が規制されてなくなってしまえば、どう暴発するかわかりません。<br>
<br>
結論として「社会は幼女性愛と正面から向き合ってみる時がきている」のではないでしょうか。「刑務所の中でカウンセラーが対処」とか「よくわからんから大学教授に意見を聞きに行ってみる」とか腫れ物に触るような扱いしてないで、もっと認めてみたらと思うんですけど。その上で、解決策を考えないと、いつまでたっても状況が前に進んでいかないような…自分の嗜好に悩んでいる幼女性愛者も多いのだし。<br>
<br>
しかし、幼女性愛が社会的に認知されても、その解決策は目に見えて困難ですね。同性愛ならば、認知されれば後は本人同士でお好きに…というところもあるけど、幼女性愛者はまさかそういうわけにはいかない。だからといって、そういう人達用の風俗を建てるなんて論外。まあ「理解できない」で切り捨てないで、みんなで悩むしかないのですよ。]]> 
</content>
<author>
<name>tobira0513</name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>電車の運行は時刻表より多少遅れても良いのか</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://tobira.livedoor.biz/archives/20973873.html" />
<modified>2005-08-14T08:52:41Z</modified> 
<issued>2005-05-05T13:58:23+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2008:tobira0513.20973873</id> 
<summary type="text/plain">まあメジャーな意見ではないんでしょうけど、最近「電車なんて多少遅れたって別にいいじゃん」というような意見・文章を時々目にします。「ヨーロッパの国々では先進国でも五分ぐらいの遅れは普通だ」なんてことを持ち出してまで、「（最近の）日本はちょっとおかしい」論に...</summary> 
<dc:subject>雑</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://tobira.livedoor.biz/archives/20973873.html">
<![CDATA[まあメジャーな意見ではないんでしょうけど、最近「電車なんて多少遅れたって別にいいじゃん」というような意見・文章を時々目にします。「ヨーロッパの国々では先進国でも五分ぐらいの遅れは普通だ」なんてことを持ち出してまで、「（最近の）日本はちょっとおかしい」論に持っていったりします。時間通り運行して「おかしい」と言われるのもおかしな話だけど。<br>
<br>
安全を確保することと、時間通り運行することっていうのは根本的には別の問題だと思うので、余裕のある時刻表を組むなどして安全を確保してもらいたいですが、それでも「電車は少しぐらい遅れてもいいか」っていうのは、ちょっと感情的過ぎる論のように思います。<br>
<br>
「電車が遅れる」っていうのは、経済全体にとっては確実なコストになります。それは、例えば、労働者が電車が遅れることを前提に移動時間を計算することで、実質労働時間がその分減少するなど、各消費者・企業は、「電車が遅れる」ことに対する担保を、多少なりとも確保しなくてはいけないからです。しかし今の日本の０成長に近い経済において、そのコストはほぼ確実に、経済規模を縮小させる原因になります。<br>
<br>
縮小する経済っていうのは、様々な場面において「余裕のなさ」を生みますから、そういう「余裕のなさ」は、むしろ事故をさらに誘発する原因になるのではないでしょうか。<br>
<br>
経済は成長していくことで、様々な種類の「余剰」を生みだします。そして、そういう余剰が、心の余裕を生むのではないですかね。経済力ってのはなんだかんだで大事です。<br>
<br>
そういう意味で、不幸な人が減ってほしいと思っているのなら、自分の仕事により一層邁進することは間違っていないのですね。そんなことを言われても、うまく想像できないだろうけども。僕も想像できません。<br>
<br>
なんだか政治家の発言みたいになってきましたが、経済成長っていうのは結局のところ至上命題なんですね。]]> 
</content>
<author>
<name>tobira0513</name> 
</author>
</entry>
</feed>